ギフチョウ アゲハチョウ科
1964年 丹波篠山 大学に入学し生物研究部のオリエンテーリング 小金岳の麓 奥畑 ヒトツバが石崖についていて 初めて見るムラサキケマンが咲き 大阪とは違った環境ですべてが新しかった。珪石を運搬したと思われるワイヤーがありその広場から橋を渡ると左に渓流 初めて見るギフチョウが時々川面を過ぎ去る。ゴミムシを集めていてチョウへの興味は薄れていたがギフチョウは特別 渓流を見ながらまだ大きな道路ができていない細い道を上るとオオタワにつく。二上山や宝塚にギフチョウがいるのは知っていたが実物を見るのは初めてだった。春の妖精を実感した。今は丹波丹波篠山市ではいなくなったようであるがこどもとむしの会でギフチョウ調査では産み付けれれた卵や幼虫などの調査を数年続けたがたくさんの先生方との交流も懐かしい。
アカシジミ シジミチョウ科 中学生 高校生の頃 私市がホームグラウンドでした。くろんど池 岩船神社何度も通った。私市駅から岩船神社までの道端にクヌギ林があり定期考査が終わるとすぐに採集に行った。夕方になるとアカシジミ ウラナミアカシジミが乱舞していた。この頃は危惧種になりつつあるウラナミアカシジミが優先していた。長い捕虫網で葉をたたくと飛び出しすぐ近くにとまる。数匹捕獲して満足して帰った。中学生の後半からオサムシ科 その頃はゴミムシ科に興味は移っていたがゼフィールスは別で高校3年の時大山まで足を延ばした思い出は鮮明に残っている。
ミズイロオナガシジミ シジミチョウ科
枚方の小さな丘陵でコナラの低木から突然現れた。弱弱しく そよ風にもちぎれそうな尾状突起 目の前で飛び すぐ止まった。コナラの低木が続く丘陵地 ゼフィールスが・・戸惑った。あの頃は町中の小さい裏山にも生息していた。この山でムラサキツバメも採集した。神社の境内には榊や紅葉などの空間が適度な明るさと湿度が蝶道を作り出していた。
ノコギリクワガタ
小学生の頃(1950年代) 枚方にもクヌギ林がありコナラ アベマキの生える林があった。コナラの樹液には ゴマダラチョウが黄色い口吻を延ばしてゆっくり翅を動かしていた。早朝樹液の出ているコナラなどを巡りながらカブトムシ やコクワガタを探していた。山には子供たちの奮闘の後 おのずとあちこちに道が出来上がっていた。道をそれたところに大きなコナラの切り株がありそこに大きなノコギリクワガタがいた。クワガタをゲンジと総称していたがノコギリクワガタは水牛と呼んでいた小さい頃のことである。このことが昆虫への関心が決定的になったように思う。
ウマノオバチ コマユバチ科 1960年代に篠山の王地山の稲荷の上の鳥居の横に太い樫の木がありシロスジ カミキリの食痕がたくさんあった。今は枯れてなくなっている。立派なクヌギも枯れ整備も行き届いていて面影はなく昆虫も少ない。その樫の穴付近を掠めたものがあったので眼を凝らすと長い尻尾を優雅に たなびかせながら飛ぶものがある。体のわりに長い尾 まさしくウマノオバチだ。不思議な光景をみてしばらく見入っていた。それ以来長い間お目にかかれず危惧種になって見ることは無いとあきらめていた。今回写真にまで撮れて満足している
ムカシヤンマ
藤坂へ来た頃 隣の大きな庭石の置いてあるところで立っていると肩にとまるものがある。手で押さえてみるとなんとムカシヤンマである。6月ごろのこと。畑を耕しているとモリアオガエルが出てきたことも驚いたが絶滅危惧種が素手の手の中にいる。我が家の裏はすぐ山に続き湧き水と小さな池があり苔むした流れがある。幼虫は水に入ることはほとんどなく、湿ったコケの中にトンネルを掘って住み、半水生の生活をするので定着していたらしい。今でもほぼ毎年出てくるので健在のようだ。篠山では数か所で観察できる。人怖じしないので見つけると撮影も容易である。
ハッチョウトンボ トンボ科
1970年代 四条畷市の室池周辺の水田にたくさんのハッチョウトンボが発生していた。腹長 1 3 mm 内外, 後翅長 14 mm 内外。世界の不均翅類中最小のトンボで珍しくたくさんの発生で驚いた。篠山に移住して古老の話で今田にはあちこちにたくさんいたとの話だが今ではほとんど見ない。7 〜 8 月に, 食虫植物などのはえた湿原に発生するが, 分布は限られている。
兵庫県 レッドデータ Bランク
篠山ではあちこちの川や池に生息しており特に今田では数か所結構見られる場所がある。池の近くの水田の溝や流れのある川にも見つけることが出きる。白手袋をはめたような前肢を見つけたときはうれしかった。大阪では見ることができなかった。飛翔力が弱く驚いてもあまり遠くに行かない。 上流域にも生息し、川幅の広いところでも緩やかな水の流れが確保されているところでは生息する。
アカマダラコガネ (アカマダラハナムグリ)
1980年代の石清水八幡宮周辺はクヌギ アベマキ コナラなどがあちこちで樹液を出しゴマダラチョウ スズメバチや甲虫類が吸蜜していた。樟葉はまだ開発されてなく本宮への道は複数あった。そんな道のクヌギ林でアカマダラコガネがいた。独特な配色と形態を見て興奮した。その後出会ってはいない。最近本種の幼虫が、実は動物食を中心とする大型鳥類の巣で成長することが、近年になって知られることとなった。コウノトリの巣で見つかって話題になったのは最近のことである。
高校2年の初夏 京都の八幡神宮の石段を登りきると白馬のいる厩がありネズミモチが植わっていた。冬季 幼虫は見つけていたが成虫はいまだ会えなかった。立派なエノキが沢山ありどうしても成虫が欲しかった。何度目にか樹液を吸って翅を広げているオオムラサキを見てはやる気持ちを抑え飛び立つところを捕獲 雀を捕らえたような激しい翅音は喜びを倍加してくれた。翅が傷んでいたがそれでもよかった。
1960年代 テリトリーは私市 津田方面であったが貴船 芹生にはたびたび行った。夏休みの終わりごろ 貴船から芹生への杉林でアサギマダラが悠々と飛んでいた。驚かしてはいけないと慎重に網を構える。網に入れたとき感動したがあの透き通った浅黄色は忘れられない。あの頃は食草や生態など詳しくなかったが貴船などでアサギマダラがいることは知っていた。佐用町の昆虫館付近で蛹とキジョウランを食べていた幼虫を初めて見た。篠山では秋に時々見ることがあったが最近近所の人がフジバカマをたくさん栽培してたくさん呼び込んでいる。
水質の悪化などにより水と接して生活する両生類や昆虫類が減少しています。篠山東部で見つけたモートンイトトンボは平地から低山地の草丈の低い水草が繁茂した湿地や休耕田などに生息します。体長23〜32mm程度で雄は胸部が黄緑色で黒斑があり腹部後半は橙赤色。雌は未熟個体では橙黄色で無斑であるが、成熟すると緑色となり腹部背面に黒条が現れます。浅い池と水田が接していて、クロスジギンヤンマや数種のイトトンボが飛び交うビオトープとして管理された貴重な環境でした。篠山にはビオトープとして有効な水田がたくさん存在し、調査が楽しみです。
篠山では数箇所で生息が確認できている。幼虫期間は7年ほどかかり絶滅危惧種渓流を低く飛び岩の上などに良く止まる。最初に見つけたのは羽化したてのもので近くの渓流では幼虫が観察されている。成虫が確認できたのは3か所で発生時期では複数見ることもあった。
キイロスズメバチ スズメバチ科 高校時代の夏の終わり京都の貴船にスジボソヤマキチョウの採集に行った。 姿が見えたので夢中で追いかけていた。見失って後ろを振り返ると15頭ぐらいのスズメバチが向かってくる。 秋で気が立っていたのであろうが2mほどのの円がだんだん小さくなり耳元での羽音がすごい。 刺激しないように目で蜂を追いながら動かずにいたが一匹が鼻の上にとまりチクリと刺した。 身の危険を感じ首にナイロンの風呂敷を巻いて延髄を保護し倒れこんで受難の過ぎ去るのを待った。 静かになり体を調べると3か所刺されていた。村に戻り家をまわりアンモニアを求めたがなくタマネギが 効くと教えてもらいつけたが場所が場所目に染みた。アンモニアもやがていただきつけたが鼻の先 涙が自然に流れる。よく無事で 地元の人で死んだ人も居ると聞いて軽傷で喜んだが帰り京福電鉄の 車窓に移る顔が日本画に見るお岩の幽霊のようでした。翌日の学校は当然のように休ん 船口から芹生峠 途中に四畳半ほどのお地蔵さんの祠があり休憩所になっていた。大きなキイロスズメバチの巣があり蜂は 人なれしていて中にいるときは警戒して近くを飛び回るが2mほど離れると巣に引き返した。 ハチの適応ぶりに大いに感心した。峠近くの杉林があり杉皮をめくると光沢のある気品のあるミヤマヒサゴゴミムシが出てきた。瓢箪の古い呼び方でノスタルジーを感じる。旅籠や蕎麦屋などの店の名前が沢山ありその姿は心に残る。ヒサゴゴミムシダマシなど昆虫名にも使われている。今でも好きな昆虫で姿も形も見ていて楽しく心躍る
学生時代 但馬の扇の山でゴミムシ採集をしていた。毎年五月の連休 夏休みに1週間ほど山籠もりした。夜篠山口から出発し早朝5時ぐらいに湯村に到着 始発のバスに乗り・・・・についた。30k近くのリュックを背負い畑が平まで登り当時から使われていなかったハッカ栽培をしていた井関さんの山小屋を拠点に私はオサムシ科の採集。ナガゴミムシ類を河原の石起こし ガケ崩しなどしていた。岩の多い崖を崩していたら奇妙な虫が出てきた。柔らかく一見オケラに似た色合い ガロアムシであった。その後佐用町で見たが昔の印象の方が強い。