子供の頃 神社のある小さな山が遊び場だっ
た。遊び道具も自分の手で作った。
木刀は樫、ビワ 弓は竹、ナンテンで作り、吹
き矢は魚釣り竿で、矢は雑誌のグラビ
アにつかう少し厚い紙を巻いて先端にSPレコードの鉄針をつけ塀や立ち木を標的
にして遊んだ。吹き矢は怖いくらい威力があり、焼きスギの板につき刺さった。こ
れらの材質は子供同士で受け継がれたものであり、危険な遊びにも怪我をさせたこ
とも怪我をさせられたことも無かった。 |
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危険なことはみんなが承知で回りをよく見て危険の無いのを確認してから 行動し
た。よく子供同士で喧嘩もあったがガキ大将が自尊心を傷つけない程度にやめさせ
たり、家に帰らせたりしていた。 缶ケリにしても小さな子はハイノコと名づけル
ールも強制されず、ただ上の子について逃げ回っていた。ガキ大将の知恵、集団を
取り仕切る行動力を学ぶ機会が無くなった。われわれの頃は遊びを通じて社会を疑
似体験していた。反抗期の無い子供は心配なように、ギャングエージをうまく経験
しないことは心にひずみが出来るのではないか? 自分の集団での位置付け、泣い
て帰っても次の日はやはりその仲間にまじりきまり悪さも辛抱する。子供の喧嘩を
大人が止める、教師が止める、だから殴られたときの痛さを知らないで大人になる
。切れて殺人にまで及ぶ。 |