の前に度々訪れたアベマキの大きな切り株があった。虫捕りのため、おのずと出来
た獣道のような細い道の横にまだ知られていない穴場があった。コクワガタやカナ
ブンのほかに水牛と呼んでいたノコギリクワガタの勇壮な姿を見たときは武者ぶる
いをした。おそらく以前に見つけられなかったシジミチョウを見つけられたのはク
ワガタムシやカブトムシから脱皮した新しい自分の発見であった。それからバネ枠
と絹網の少し上等の捕虫網を持って頻繁にかよった。神社の境内に、サカキが大き
くなっており、大きなモミジとなぜかカリンの木が植わっていた。その木陰で待っ
ているとクロアゲハ、たまにカラスアゲハがゆうゆうと飛んできた。
後に蝶道であることを知ったが、だんだん、どんなところに昆虫が住んでいるのか
解ってきた。昭和55年ころにはクヌギの樹液にはシロテンハナムグリはいつ見て
も群がっていたし一度驚いて逃げてもカナブンやゴマダラチョウはまた少し時間を
おけば集まってきた。今から考えればまだ昆虫がたくさんいたころの話である。淀
川には草が生い茂り今では絶滅危惧種になってしまったオオウラギンヒョウモンが
中学生の私にも捕れた。中学3年生であるにもかかわらず休日は昆虫採集に明け暮
れた。菓子展示用のケースに蝶の標本を並べ枕元に飾って寝ていたらおばーちゃん
に死んだら地獄に行くと言われた。
それでも平気で採集を続けた。単に集めるだけのようだが、切手の収集と違い昆虫
の体の特徴により共通点がありただ見ているだけではわからない触覚や胸、顔が遠
目では同じように見えても違っていることがわかった。その共通点と違いから分類
されていることを知った。中学3年生の頃には冬になると淀川のワンドの周りの低
い崖や近所の山の崖を掘り続けゴミムシ採集に専念した。今と違い昆虫図鑑が子供
の小遣いで手に入るわけではなし図書館に通い調べることになった。記載できる種
類数が少なく絵合わせで何とか名前を決定していた。ゴミムシ(オサムシ科)の難
しさをまだ知らないおおらかなもので楽しく没頭していった。
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