たかが虫 されど虫
部室は熱気を帯び、一郎の顔はまぶしく輝いていた。ここは中学校の理科部の部室。5月に入部して、先輩や同僚に卑下しながら
いつも話しを聞く側に甘んじていた。オオムラサキを採集したことが一気に一郎のポテンシャルを引き上げ、身振り手振りを交えて
話し出した。7月に入って昆虫の種類も増え、盃山のふもとの池の周りにあるハンノキの下の湿地に入るとそこは以外と水はけがよ
くカヤ類が生え、靴を汚さなくても林の中に入ることができた。一本ずつ手ごろな太さの木を靴でけりながら耳を澄ます。クワガタム
シが落ちてくるからだ。草むらに落ちたクワガタムシは見逃すとなかなか見つからない。落ちたと思われる場所に静かにしゃがみこ
みながら、やがて擬死状態からさめ動き出すのを我慢強く待つ。耳のような突起をもつミヤマクワガタを3匹、気をよくして次のクヌ
ギ林に移動する。ネザサの中に子どもたちの頻繁な往来でおのずと道ができている。甘酸っぱいにおいが立ち込め、ヒカゲチョウ
やスズメバチの姿を見つけるとしめたものである。カナブンや樹皮の下にはフォルクスワーゲンのような形をしたヨツボシケシキスイ
が常連で蜜を吸っている。しかし今日の様子は違っていた。美しい紫の羽をゆっくり開閉し太くて長い黄色の口吻を伸ばしながら網
の届く高さに止まっている。紛れもなくオオムラサキだ。慎重に網を構える。網に入った蝶すら、枝やツルにあたって逃がしたことが
あるからである。周りの空間を頭にいれ、できるだけ網を近づける。飛び立った瞬間を狙い横向けに掬う、これが今までの経験から
一番成功した採り方である。翅の動き、脚の動きに神経を集中し、飛び立つ瞬間のタイミングを計る。 フワッと浮いた。いまだ・・
スズメを捕まえたよう羽根音だ、ネットが激しく動いている。一郎は一気に話終わった。顔が上気して声が上ずっていたのが自分で
も分かった。小学校時代から勉強は得意でなかった。むしろ嫌いだった。算数は特に苦手で整数の足し算、引き算は両親からも叩
き込まれ計算はできた。掛け算、割り算も繰り返し練習することでなんとかできたが、分数になると横でアドバイスされたときはでき
たが、ひとりになるともう駄目、文章題になると割るのか、掛けるのか判断できない。野球部に入ってみた体力には自信があったが
玉拾いと基礎練習、そして人間関係が上手くいかずやめてしまった。小さいときから虫は大好きだったが近くの神社でカナブン、ハ
ナムグリを採る程度、近所の悪ガキらがカナブンの胸と翅のくびれに糸を結び飛ばしているのを見て、まねをして遊んだ。そんな一
郎には文化系の理科部という名に抵抗があったがカラスアゲハやアサギマダラの標本を見て一気にやってみたくなった。標本作り
もやってみると意外と簡単で丁寧にやれば何回かやっているうちにさまになってきた。毎日のクラブはサロン的で標本を持ち寄って
はそのときの戦果をそれぞれ熱っぽく語った。そんな話に聞きほれ、うらやましかったが一郎にはまだそんな機会に恵まれなかった
のである。このときから自然の何もかもが新鮮に身近なものになった。チョウの飛び方にしても反復飛翔型、きりもみ型、タテハチョ
ウのようにナワバリを持つもの、アゲハチョウのように蝶道を持つもの、オニヤンマのようにナワバリ徘徊型など観察しているとここ
には何が居そうかわかり、採集の成果も上がった。次々と出会う昆虫は新鮮で、標本にしては標本箱に並べた。虫眼鏡で観察する
と、地味色の昆虫も拡大してみると誰がこんなにすばらしい配色と配置を考えたのか感動することが多かった。種類が増えてくると
うれしくなり幼友達に見せたり、枕元において寝たりした。祖母に虫を張り付けにして地獄に行くわと言われても気にすることもなか
った。標本など見たこともない友達に、どこで買ったの?と聞かれて得意になったこともあった。夏休みが近くなり唯一図鑑のある
学校の図書館に通う回数が多くなった。さらに種類を増やすためにはチョウの情報が必要になる。何を食べどんな環境を好むかを
知り、いつどこに行けば採集できるか、花のある場所、種類、時期など知らなければならない。花の名前も身近なものになった。ア
ザミ、ウツギ、ヤブガラシ、などチョウがよく集まる植物はすぐ覚えた。ミヤコグサの花をかたっぱしから掬いシルビアシジミを得たと
きは手に入れた喜びよりも的中した充実感のほうが大きかった。母から教わったヨシワラスズメ(オオヨシキリ)がギョギョウシ、ギョ
ウギョウシとうるさく鳴いている。夕日を背に大きな赤い口をあけた姿は周りの葦の穂が逆行に輝いている風景とマッチして美しい。
おそめつつじという花も教わった。お染久松の物語から連想した名前なのか今では聞きようもないがコバノミツバツツジよりイメージ
としてぴったりと思う。クズの花が甘酢パイにおいを放ち、お尻の白いゾウムシが交尾をしている。銀色に光らせながらヒョウモンチ
ョウが飛び去った。水辺にはひび割れてはすの葉が散らばっているような土のかけらの上を小さなハンミョウがハエのように飛び交
っている。水辺をみるとシャボン玉のような空気の泡が水草の根のあたりにでき、日なた水を連想させる。ウラギンシジミが目立って
くると夏休みも終わりに近づく。ツクツクボウシの鳴き声がいつもさびしい気持ちになる。放置していた宿題が重苦しくのしかかるから
である。新学期が始まるとクラブ員の戦果が集まった。切手の収集と異なり体の特徴で、大きなまとまり、さらに小さなまとまりで種
名が決まっており、似通ったものを並べていくと、仲間がわかり、図鑑を引くのが楽になった。秋風が吹き、昆虫が見られなくなると
冬眠している昆虫を掘り出しにいった。一日歩いて数匹、忍耐がいる作業ではあるが虫の生活を考えながら掘り出したときの感激
がさらに次の意欲につながった。小学生のころ将棋に負けて寝てからも脳裏にちらついたことがある。なにかに無我夢中になれるエ
ネルギーは集中力と洞察力と行動力を育てることを今になって一郎は痛感している。子供は昆虫や動くものが本来好きである。生
まれつきの狩猟本能か捕まえることに夢中になれる。苦労せずに集中力と洞察力を養ってくれたようだ。一郎は虫に出会ったことを
感謝しこれから生まれるであろう子供にも森に連れて行こうと思った。
終わり