丹波は日本列島の中央に位置し、年平均気温、降水量ともほぼ平均的な値を示している。

生物についても氷上回廊を境に東西の種類が共存している興味深い地域である。

また太平洋側と日本海側の生物がこの回廊を伝って移動していくことが知られている。

したがって生物相も豊富である。


  たかが虫 されど虫

部室は熱気を帯び、一郎の顔はまぶしく輝いていた。ここは中学校の理科部の部室。5月に入部して先輩
や同僚に卑下しながらいつも話しを聞く側に甘

んじていた。オオムラサキを採集したことが一気に一郎のポテンシャル


引き上げ、身振り手振りを交えて話し出した。
7月に入って昆虫の種類も増え、

盃山のふもとの池の周りにある
ハンノキの下の湿地に入るとそこは以外と

水はけ
がよくカヤ類が生え、靴を汚さなくても林の中に入ることができた。一本ずつ手ごろな太さの木を靴で

けりながら耳を澄ます。クワガタムシが落ちてくるからだ。草むらに落ちた
クワガタムシは見逃すとなか

なか見つからない。落ちたと思われる場所に静かにしゃがみこみながら、やがて擬
死状態からさめ動き

出すのを我慢強く待つ。耳のような突起をもつミヤマクワガタを
3匹、気をよくして次のクヌギ林に移動

する。ネザサの中に子どもたちの頻繁な往来でおのずと道ができている。甘酸っぱいにおいが立ち込


め、ヒカゲチョウやスズメバチの姿を見つけるとしめたものである。
カナブンや樹皮の下にはフォルクス

ワーゲンのような形をしたヨツボシケシキスイが常連で蜜を吸っている。しかし今日の様子は違ってい

た。美しい紫の羽をゆっくり開閉し太くて長い黄色の口吻を伸ばしながら網の届く高さに止まっている。

紛れもなくオオムラサキだ。慎重に網を構える。網に入った蝶すら、枝やツルにあたって逃がした

ことがあるからである。周りの空間を頭にいれ、できるだけ網を近づける。飛び立った瞬間を狙い横向け

に掬う、
これが今までの経験から一番成功した採り方である。翅の動き、脚の動きに神経を集中し、飛

び立つ瞬間のタイミングを計る。   フワッと浮いた。いまだ・・スズメを捕まえたよう羽根音だ、ネット

が激しく動いている。
一郎は一気に話終わった。顔が上気して声が上ずっていたのが自分でも分かっ

た。
学校時代から勉強は得意でなかった。むしろ嫌いだった。算数は特に苦手で整数の足し算、引き

算は両親からも叩き込まれ計算はできた。掛け算、割り算も繰り返し練習することでなんとかできたが

、分数になると横でアドバイスされたときはできたが、ひとりになるともう駄目、文章題になると割るのか

、掛けるのか判断できない。
野球部に入ってみた体力には自信があったが玉拾いと基礎練習、そして人

間関係が上手くいかずやめてしまった。小さいときから虫は大好きだったが近くの神社でカナブン、ハナ

ムグリを採る程度、近所の悪ガキらがカナブンの胸と翅のくびれに糸を結び飛ばしているのを見て、まね

をして遊んだ。そんな一郎には文化系の理科部という名に抵抗があったがカラスアゲハやアサギマダラ

の標本を見て一気にやってみたくなった。標本作りもやってみると
意外と簡単で丁寧にやれば何回かや

っているうちにさまになってきた。毎日のクラブはサロン的で標本を持ち寄ってはそのときの戦果をそれ

ぞれ熱っぽく語った。そんな話に聞きほれ、うらやましかったが一郎にはまだそんな機会に恵まれなかっ

たのである。
このときから自然の何もかもが新鮮に身近なものになった。チョウの飛び方にしても反復飛翔型、きりも

み型、タテハチョウのようにナワバリを持つもの、アゲハチョウのように蝶道を持つもの、オニヤンマのよ

うにナワバリ徘徊型など観察しているとここには何が居そうかわかり、採集の成果も上がった。
次々と出

会う昆虫は新鮮で、標本にしては標本箱に並べた。虫眼鏡で観察すると、地味色の昆虫も拡大してみる

と誰がこんなにすばらしい配色と配置を考えたのか感動することが多かった。
種類が増えてくるとうれし

くなり幼友達に見せたり、枕元において寝たりした。祖母に虫を張り付けにして
地獄に行くわと言われて

も気にすることもなかった。標本など見たこともない友達に、どこで買ったの?
と聞かれて得意になった

こともあった。夏休みが近くなり唯一図鑑のある学校の図書館に通う回数が
多くなった。さらに種類を増

やすためにはチョウの情報が必要になる。
何を食べどんな環境を好むかを知り、いつどこに行けば採集

できるか、花のある場所、種類、時期など
知らなければならない。花の名前も身近なものになった。

アザミ、ウツギ、ヤブガラシ、などチョウがよく集まる植物は

すぐ覚えた。ミヤコグサの花をかたっぱしから掬いシルビアシジミ

を得たときは手に入れた
喜びよりも的中した充実感のほうが大きかった。

母から教わった
ヨシワラスズメ(オオヨシキリ)がギョギョウシ、ギョウギョウシとうるさく鳴いている。夕日を背に大きな赤い口を

あけた姿は周りの葦の穂が逆行に輝いている風景とマッチして美しい。おそめつつじという花も
教わった。

お染久松の物語から連想した名前なのか今では聞きようもないがコバノミツバツツジよりイメージとしてぴったりと

思う。クズの花が甘酢パイにおいを放ち、お尻の白いゾウムシが交尾をしている。銀色に光らせながらヒョウモン

チョウが飛び去った。水辺にはひび割れてはすの葉が散らばっているような土のかけらの上を小さなハンミョウが

ハエのように飛び交っている。水辺をみるとシャボン玉のような空気の泡が水草の根のあたりにでき、日なた水を

連想させる。ウラギンシジミが目立ってくると夏休みも終わりに近づく。ツクツクボウシの鳴き声がいつもさびしい

気持ちになる。放置していた宿題が重苦しくのしかかるからである。新学期が始まるとクラブ員の戦果が集まった

。切手の収集と異なり体の特徴で、大きなまとまり、さらに小さなまとまりで種名が決まっており、似通ったものを

並べていくと、仲間がわかり、図鑑を引くのが楽になった。
風が吹き、昆虫が見られなくなると冬眠している昆虫

を掘り出しにいった。一日歩いて数匹、忍耐がいる作業ではあるが虫の生活を考えながら掘り出したときの感激

がさらに次の意欲につながった。小学生のころ将棋に負けて寝てからも脳裏にちらついたことがある。なにかに無

我夢中になれるエネルギーは集中力と洞察力と行動力を育てることを今になって一郎は痛感している。子供は昆

虫や動くものが本来好きである。生まれつきの狩猟本能か捕まえることに夢中になれる。苦労せずに集中力と洞

察力を養ってくれたようだ。一郎は虫に出会ったことを感謝しこれから生まれるであろう子供にも森に連れて行こ

うと思った。 

終わり